東京国立近代美術館・恩地孝四郎展
東京国立近代美術館で開催されている「恩地孝四郎展」を見て来ました。
恩地孝四郎は若くして竹久夢二に師事し、東京美術学校在学中に、田中恭吉、藤森静雄と共に、
木版画と詩の同人誌「月映」を創刊します。
カンディンスキーらドイツ表現主義の木版画に影響を受け、書籍の挿絵であった木版画を作品として
捉え直し、抽象的な表現を取り入れた創作版画を発表して当時の詩人、作家(萩原朔太郎、北原白秋ら)
に支持されます。
恩地孝四郎は旺盛な実験精神で様々な方法にチャレンジし、新しい抽象版画を切り開いていきました。
チラシと新聞記事などから一部ご紹介します。
恩地孝四郎展チラシ チラシ裏
中央の絵は 「春の譜」 木版、紙 1944年
土や木の穴から虫などが這い出して来るようなイメージです
茶色の円錐と背景が温かみを表しているようです 自画像(ブルーズ)油彩、キャンバス 1919年
精悍な、理知的な自画像です
左:抒情「あかるい時」 木版、紙 1915年 幾何学模様が描かれていますが、洞窟の出口の
明かりが見えたのかも知れません 版木も展示してありました
右:あるヴァイオリニストの印象(諏訪根自子像) 木版、紙 1946年 一心にヴァイオリンを弾いています
黒い曲線が音の広がりを表しているようです 裸膚白布 木版、紙 1928年
さわやかな、初々しい女性が少し頬を赤くしています
左:アレゴリー№2 廃虚 木版、紙 1948年 空の雲の下に女性が浮かんでいます
地上では廃虚に男の顔が横たわっています 不気味な絵です
右:イマージュ№6 母性 紙版、紙 1951年 母親が赤ん坊を抱いているようです オバタマムシ「博物誌」 ゼラチン、シルバー・プリント
1938-1942年 コインかメダルの上に玉虫がいます 写真を加工したものでしょうか
リリック№12 たよりない希望 マルチブロック、紙 リリック№6 孤独 マルチブロック、紙 1949年
1951年 青、黄、赤で、明るい希望を描くが、 何層にもなった暗い雲から雷鳴が地上に
細い線やもやもやとした糸ではかなげに見えます 降り注ぎ、不安な印象です
マルチブロックは糸や紐、布、落葉、貝殻などを自由に版として使う、コラージュのような技法です 山田耕作像 木版、紙 1938年
山田耕作の気力あふれる表情が描かれています
音楽を表した抒情作品も沢山あります
昨年の9月に東京ステーションギャラリーで「月映」の展覧会がありました。そのチラシもご紹介します。
「月映」チラシ チラシ裏 望と怖 木版、紙 1914年
公刊「月映」Ⅶ 1915年 冊子の表紙
下は 田中恭吉「月映」のマーク
左:つきにひくかげ 木版(機械刷)紙 1914年 4人の影の様な物が見えます
中:抒情 躍る 木版、紙 1915年 力強い動きが感じられます
右:失題 木版、紙 1914年
紙に錫箔を貼り、その上に木版を摺ることもしたようです。
この他、初めて飛行機に乗った時の印象を「飛行官能」として表したり、サーカスの印象をカラフルで
楽しい版画に表し、ブックデザインや本の発行も行いました。
1954年、「自分の死貌」という題の詩を歌い、同じタイトルの版画が造られましたが、これが絶筆となりました。
「私は私を天才にまで引き上げなければならない」と自分を叱咤激励し、木版のあらゆる方法にチャレンジ
しました。
恩地孝四郎の版画は海外でも高く評価されました。
海外に渡った作品60点を含む木版画260点の他、油彩、水彩、素描、写真、ブックデザインなど
合わせて約400点が展示されています。
この展覧会は2月28日まで開催されています。
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