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2015年2月13日 (金)

中村屋サロン美術館 開館記念特別展

昨年開館した、新宿の中村屋サロン美術館に行き、大正、昭和の芸術に触れて来ました。

中村屋は1901年、文京区本郷に創業しましたが、1909年本店を新宿に移し、昨年本店ビルを建て替える
ときに、美術館を開設しました。
創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は多くの芸術家・文化人を支援しました。
新宿の中村屋には、同郷の彫刻家、荻原守衛(碌山)や画家の中村彜(つね)、書家の會津八一、彫刻家の
高村光太郎らが集い、お互いに刺激し合って芸術を高めていました。

昨年10月29日に開館した、中村屋サロン美術館の第1回の展覧会が「中村屋サロンーここで生まれた、
ここから生まれたー」です。
チラシやポストカードから一部ご紹介します。

001 002
中村屋サロン美術館 開館記念特別展チラシ         チラシ裏
左:荻原守衛(碌山) 「女」
右:中村彜 「少女」 

003  荻原守衛 「坑夫」 ブロンズ
1954年  48x46x34cm 堂々とした逞しい坑夫の像ですが、当時の日本の彫刻界では肩までの像は
未完成として、入選しなかったそうです。

004  荻原守衛 「女」 ブロンズ
1978年  98x70x80cm
荻原守衛(碌山)は中村屋の創業者、相馬愛蔵と同じ安曇郡東穂高村の出身です。
愛蔵らと行動を共にするようになり、特に夫人の黒光によって芸術に対する目を開かれました。
絵画を学んでアメリカへ遊学しますが、ロダンの「考える人」に出会って感激し、ロダンを師と仰いで教えを
受けます。
帰国後新宿にアトリエを建てて創作活動に励み、明治43年、日本近代彫刻史上最高傑作と言われる「女」が
制作されました。
この彫刻「女」には、相馬愛蔵の妻、黒光の面影があるそうです。

005  高村光太郎 「自画像」 油彩
1913年  60、5x45、4cm

006  高村光太郎 「手」 ブロンズ
1918年   39x28、7x15、2cm
高村光太郎の父、光雲は仏師であり、彫刻家として、帝室技芸員として、東京美術学校の教授として
活躍していました。
しかし、光太郎はロダンの「考える人」の写真を見て衝撃を受け、英語の「オオギュスト・ロダン」の本を
入手し、熱読してこの新たな芸術に傾倒していきます。
そして「手」などの代表作が制作されました。
また、詩人としても「智恵子抄」などが教科書に掲載されています。

007  中村彜 「少女」 油彩
1914年   69、8x65、3cm

008  右:中村彜 「麦藁帽子の自画像」 油彩
1911年   41x32、2cm
中村彜は茨城県水戸市の出身です。生まれてすぐに父を亡くし、陸軍軍人の長男の影響を受け、
陸軍幼年学校へ進みますが、次に進学した直後に肺結核になってしまいます。
彜は療養しながら絵を描くようになり、美術学校に進んで、文展で入選するようになります。
中村屋裏のアトリエで相馬家の長女「俊子」をモデルとして描いたのが「少女」です。


009  右、下の書 會津八一
右から 「林下十年夢」 「湖邊一笑新」
下    「那可無楽也」

會津八一は新潟市に生まれ、早稲田の前身の東京専門学校英文科を卒業しました。
東洋美術史の研究者として、また歌人、書家としても知られ、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が
設けられた時に、最初の主任教授に就任しました。
私財を投じて中国の明器(副葬品)、鏡など4000点余りを集め、学生の教育、研究の資料としました。
これ等が核となって、早稲田大学、會津八一記念博物館が設立されました。

この他、中村不折や柳敬助、中原悌二郎らの油彩、水彩、ブロンズが展示されていました。

中村屋サロンには、きら星のごとく芸術家や文化人が集っていたようですので、今後の美術展が楽しみです。

この展覧会は2月15日まで開催されています。

 中村屋サロン美術館
     東京都新宿区新宿3丁目26番13号 新宿中村屋ビル3階
            





















 

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